2.震災からの復興について
○事務局
今,皆さん,いろいろ出して自己紹介等あったんですが,その中で共通というか,他県からいらした方,もしくは一度茨城を離れて茨城のよさを知るというところを,今聞いている中で皆さんからいろいろあったんですけれども,皆さんからご自由に,意見があればどうでしょうね。
今,Gさんのほうからも3月11日の震災のことがちょっと触れられたんですけれども,そういう部分で皆さんのほうで,茨城で住んでいて,Bさんからもちょっと話はあったんですけれども,震災があったときの茨城のよさも改めて知ったとか,いろいろあると思うんですけれども,そういうその当時のことなんかもありながら,そういうことが起きた,これから,じゃどうしていくんだとか,そんなことも話をしていただけるとどうかなと。もう自由にどうぞ,いいですよ。
○F委員
地震があったときは,スイーツの卸もやって,レストランもやっていたんですけれども,卸もやっていて,そのとき,卸の,つくっていたわけですね。あしたまでにロールケーキ120ケースって,すごい量なんですけれども,それをやっている最中で,いきなり揺れまして,もう落ちそうなんですね。これ落としたらもう一回やり直しだよって,嫌だって思っていて必死で押さえていたんですけれども,押さえ切れなくて全部おっこちました。
うち,鉄筋コンクリートの3階建てで,すごい頑丈な店で,頑丈過ぎたゆえに揺れがすご過ぎて全滅したんです。
その後は,ああもうだめだと思って,だけど,商売人なので,食材がいっぱい余っているんですね,これ何とかしなきゃと。従業員もいっぱいいるし,とりあえずあるものだけ売らなきゃと思って,道路に立って,看板に「弁当あります」,道路に。
全部食材売り切って,ああこれで終わったなと。 で,ああもうやめよう,商売やめようと思っていたんですけれども,そんなときに日本橋のデパートから,1年前に営業かけていたところなんですけれども,スイーツのロールケーキの販売やりませんかってあって。
それを華々しくやって,もうやめようと思っていたんですよ。つくって日本橋まで届けて,帰ってつくって日本橋まで届けてというのを1週間やったんですね,寝ないで。
で,終わりました。ああ終わった,もう終わった,今度こそ終わりだと思ったら,今度,水戸の店から店やってくださいという電話があって,これも運命かなと思ってやって。
そしたら,やっぱりやめられないなと思って,それで全部今までの取引先回って,やっぱりやりますと言って頼んで,やり始めて。
農家さんもいろいろ回って,やっぱり被害がすごくて,もうどうしようも,何の補償もしてくれないと言うんですよね,農家さん,国は。買ってくれないしで。で,何とかしなきゃなと思いまして,何もなくなっちゃったんですけれども,とりあえず農家さん助けたいなと思って,農家さんから買い取って,もう一回またジャムとかスイーツをつくり始まって,今に至りますね。
農家さん回っているときに,後継ぎがいないとか,ひどい状況ですよね。だれもやりたがらない,もうからない。なので,農家さんは捨てちゃうんですね,ちょっとでも傷があると買い取ってもらえないということで。そういうのを,もったいないし,農家さんの価値を下げちゃうというか。もうからないから若者も息子もやらないと。そういう悪循環なので,少しでも,出会えた人だけでも,少しでも利益を出せるようにして,農家さんを。
やっぱり農家さんが盛り上がらないと食べるものなくなっちゃうぞと。本当に危機意識はあるんですよね。後継ぎがいないと,どこもいないですよね。
○D委員
中学時代とか,親が農家というのは周りに結構いたんですね。田舎のほうなので,土浦市でも。
職業調査というのが,僕らの世代のときやると,お父さんは何していますかというと,会社員ですとかって,農家ですというと結構手が挙がったんですけれども,高校ぐらいになってくるとだんだん減ってきまして,クラスで3,4人ぐらいでした。中学時代は,田舎の中学校だったので10人以上は1クラスにいたんですけどね。
僕の世代で,同級生でやっているのは,はっきりとわかっているのは,200人中3人ぐらいですよね。もともと農家数多いところなので,そういうのが現状で。僕自身ももともと農家の長男という立場なので,仕事につこうと思えばつけるという環境はあったんですけれども,農家が嫌とかそういうことじゃなくて,ほかにちょっとやってみたいなと思うことがあったので,それにチャレンジしていたという感じなんですけれども。
本当に,何でやらないのと,今,もうからないとおっしゃった。確かに何か,余り昔からもうかっているイメージはなかったんです。
私,子どものころはバブル期って時代があったので,実は農家もかなりお金に当時はなっていましたね。今,物の販売価格が当時の半額ぐらいのベースになっているので,経費は余り変わっていないから,むしろ経費だけ上がっている状態というのが,一般的に言えばそういう状態なので,当然,利益は減っているというような感じはしている。
今お話を伺っていると,その時の農家さんを助けたいなと,本当に農家を代表してお礼をいいます。
あの当時は本当,地震というよりも恐らく―地震で直接被害を受けたという地域は当然沿岸部中心にあったんですけれども―原発の影響ですね。
本当に売れない。もう2,500円ぐらいするミズナが1円とかというのをテレビで見たし,実際,我々の近くでホウレンソウは出荷できないし,行ってもちょっと売れないよというような惨憺たる状況はありましたね,本当に。うちは農家,私は野菜はやっていないんですけれども,本当にそれまでのつくる過程も見ていますし。
当時は風評と,放射能の影響はどれだけあるかって結構大きな問題,国民的な問題だったので,こちらの都合だけで売るということも正直やってはいけないというのもみんな思っていたのもあったし,直接被害受けた地域の現状を見ていると,我々もそれ,今は我慢しようかという話は仲間内でもしていたところなんですけれども,今,3カ月,4カ月たってきて,牛に出たとか,きょうも栃木県のほうで出て,出荷停止だとかということがこの先もますますいろんなもので出てくるのかなというようなことを本当に危惧し始めています,改めて。農産物に関してはですね。
○F委員
猿島茶の,県内で初めて抹茶をつくった会社があるんですけれども,猿島に。
その方の抹茶を使ってロールケーキもつくっているんですけれども,去年収穫したやつ,お茶とかも全部返品と。去年なので関係ないんですよ。でも,猿島というだけで,もうイメージが悪いから全部返品といって,これはひどいなと。僕は全然,今でも猿島の抹茶を使っていますと言って売っているんですけれども,お客さんって,気にしないで買ってくれるんですよね。
○D委員
当時は中間業者とかがまず,風評被害が出るからという形で市場のほうでも取引ができないようになっているので。
末端の消費者を見ますと,買ってあげたいんだけれども物がない。物流も滞っていたというのがあるんですけれども,そういう状態で,買いたくても東京のほうでは買えない。支援したいんだけどできないよというのは,話を東京の知り合いから直接聞かされたことがあって,どこで買えるのと,茨城のもの全然ないよと言われて。だんだん地元のスーパーあたりがやっぱり,そういうわけにもいかないので,茨城のものを入れたりとかという形に進んできたんですけれども,本当に当初はひどかったです。
本当,風評ですね。
実際によくわかっていなかったという怖さが一番大きいんだと思うんですけれども,怖がる気持ちは正直,自分もわかったんですね。自分も,ここに住んでいて大丈夫なのかなという,2週間ぐらい思っていたことはあったので。ただ,それがある程度はっきりしてきた段階で,やっぱりそれなりに消費者のほうも落ちついた部分はあったとは思いますけれども,今でもさっきおっしゃったような被害というのは根強く残っているものも,品物によって大分違うんですけれども,ありますね。
○D委員
僕ら生産者の立場で,安全だよということをちょっと簡単に言っちゃったんですけれども,小さいお子さんをお持ちの場合,G委員さん,いらっしゃいますので,割といわゆる放射能とかというもの,食材のことって,かなり気を使われているんじゃないかと思うんですけれども。
○G委員
みんなでお金を出し合ってガイガーカウンターを買いました,私の周りでは。大丈夫か,測ってみようって,みんなで。10万ぐらいしたので,ちょっとずつお金を出し合って買って,いろいろ測って,結果,周りはこんなぐらいの数値なんだ,大丈夫だというのも,やっぱり安心してからは買い始めました。
これ大丈夫だと言われても,その同時期にニュースで,母乳から放射能が出たというニュースが流れていたので,それでみんなパニックになってしまって,もう何も信じられなくなってしまって。結局,10万もする計器を,何を買ったらいいのと相談されて,みんなで買って,職場に備えました。
やっぱり農家さんもうちの職場もいるので,農家さんがホウレンソウを持ち寄って,出荷できないホウレンソウ,茨城県全域で規制されてしまったので,出荷できなかったホウレンソウというのを職場で配ろうと思うんだけれども,みんなに自信を持って配れないというふうに言われて,買ったガイガーカウンターをもって測ったところ,本当に数値が出なくて,えっ,壊れているのかなって,みんな言ったんですけれども,ほかの水たまりとか測ってみても数値はやっぱり出なかったので,ここは大丈夫なんだって安心できたんですけれども。
ニュースでは,茨城県の県南,県北,県西とかそういったことは言わないで,茨城県で出ましたというような言い方をされてしまうので,やっぱりうちの近くなんじゃないかという心配で,みんなパニックにちょっとなってしまった時期があったんですよね。
もう0.000幾つみたいな感じで出るので,そんなに心配するようなこともなく,ただ,集まってくるスポットというのがあるらしくて,雨水がたまってしまうような。そういうところで出たと言って騒ぎ立てるんですけれども,日常生活で,そんな出るような数値というのはなかったです。
本当にいろいろ測ったんですけれども,屋根の上とかも。
○E委員
何かいろいろ測ってはみたんですけれども,やっぱり水戸市内で,土のところとかだと0.1から0.3とか。あとは,草とか集めちゃうと,そこが高くなって0.4とか出て,だから,もう本当,いろんなところを測ってみないと,場所によって数値が全然違うので。
○D委員
そうですね。野菜で当初出て,ホウレンソウからなぜ出たかというのは,あれは要は表面的の問題だったんですよ。
茨城で典型的だったのはパセリですね。パセリが出たって出荷停止になったんですけれども,あれはたしかキロ当たり,何の食材でも1キロに対してどれだけという数値だったので,当然パセリ,軽くて表面積広いので,ちょっと,同じにかかるんだけれども,かかり具合が違っちゃって。大体,パセリを1キロ食べる人間はいないんだけれども,それで出たんですよ。下から吸ったんじゃなくて上からかかった分が,要は表面積が広いと,それだけ乗っかりますからね。だから葉物で出たんですよ。根菜とかでは,その当時はまだ出ないというわけで,そういったからくりがあったので,パセリ危険というのも,パセリが乗っかっているのを食べても全く問題ないレベルだと思った。
ただ,そういった情報すら皆さんわからないじゃないですか。私らはそういうことに携わっていたので,何でこれパセリ出たのと言ったら,聞いた人に聞くと,いや,こういうはかり方しているから出るんだよと。だから,大根とかなんか出ていないんだ,今のところという話をしていましたね。この先,土に残ったものを吸ってとかという問題が,もしかしたら起こってくる可能性はあるかと思いますけれども,今のところはそういう問題です。
○G委員
私,最近離乳食が始まって,もうどうしていいか,ちょっと正直わからなくて。ベビーフードが売っているんですけれども,そんなに細かく産地までは書いていないので,結局,自分で買ってきてつくるんですが,正直,結構大変で,どのようにされているのか。
○C委員
3月16日から保育園を再開をして,子どもの受け入れをし始めて,皆さんが仕事に行けるようにやっていったわけなんですけれども,子どもを預かるということはトイレから食事から何から全部やらなくちゃならなくて,やはり直接一番に食材の買い付けに行くんですけれども。やはり意外と行くとそんなときは入ってきてた,お話聞くと,やはりその原発の問題で買えるものと買えないものがあって,そういうのも選びながらちょっとやっていましたね。今も根菜であったりとかそういったのを意識して,でも実際測ったらさっき,あるかないかわからないというものありますので意識しながらやってはいますね。
○G委員
こういった状況がずっと続くと,精神的にもよくないですよね。
泥んこ保育というのが震災の前は結構はやっていたと思うんですけれども,室内ばっかりだとやはりストレスもたまるでしょうし,何かお砂場の開放のような何かできればなと私は思っていたんですけれども。
何か私もちょっと手伝いたいなと思ってしまって,ボランティア。そういった何か子どもたちに安全な遊びとか食を提供できるような何かアイデアがあればどんどんボランティアで実行していきたいなと思うので,皆さん何かお知恵があればと思ったんですけれども。
○B委員
実際被災してみると,今,Gさんおっしゃったみたいに,自分で何が能動的にできるかと考えながら進んでいかないと,何も変わらないし,先に切り開けないなと思いました。
結局,国が何してくれる,県が何してくれるか,市が何してくれるかといったところで,やるのは自分で,Aさんがまたやるしかないなと気持ち決めてまたやり始められたみたいに,どういう状況でもやはり結局は自分がどうやってやっていくかということしかないし,ほかの人に頼れるところは頼りますけれども,基本的には自分の力で決めて,考えて,実行していくという繰り返ししかないなと思いました。
だから,今私が何かしていけることという話を今おっしゃっていたから,お子さんまだ小さくていらっしゃってすばらしいなと思いました。
○G委員
本当に赤ちゃんが生まれて家にこもってはいるんですけれども,それまではバリバリ働いていたので,正直元気だけはあってというお母さんが結構いっぱいいるんですよ。なので,私は大したことはできないんですけれども,やはり声をかけていただけるような能動的な方がいれば,みんなザッとついてくると思うんですよ。なので,母親の労働力というか,何か生かせればなとちょっと思っております。
○B委員
そうですね,基本的に茨城の方って働き者が多いですよね。すごいパワーを持って働いてるから,それをそれぞれみんな誇りに思っていいですよね。
○F委員
何か明確なビジョンというか,自分はこうなりたいみたいな強い意識があれば,どんな状況になっても頑張れるんですよね。だから,それを,小さいお子様とかいらっしゃるから,子どもにどうやって教えていくのかなみたいな。幼稚園のころからそういうのはあるんですか。この,何と言えばいいですか,目標設定というか。
○C委員
まず基本的な生活とかそういったのをやっていく。あとは基本的な読み書きとか,そういうのをしっかりした上で次のをやっていくとか。でも,先生がその役目だと思うんですよ。生き生きと引っ張っていってる,ああ先生格好いいなとか思うようなところを先生がいかに見せられるかで,大人ってやはり格好いいなというのであこがれて保育士になる人って結構多いんですけれども。多分そういったところで大人の人たちが背中を見せるという点は多分それにつながってくるのかなというふうに思います。教えるというのは特にはないんですけれども。
元気に遊んでるとか,そういったのが気持ち的に,健康な心には健康な体がついてくるとか,あと反対に健康な体があれば健康な心が育つというのが多分あると思うので,そっちのどっちかがいってれば何かいい方向にはいくのかなというふうには思います。
ちょっと話はあれなんですけれども,結構日本ってボランティアというのは当たり前のように皆さんやられているんですけれども,中国とか行くと,やはり驚かれるんですね。ボランティアで中国とかに行ったりするんですけれども,ボランティアできてるのか。年に何回も行くんですけれども。だから,こういったボランティアの皆さんのお力があればいい方向に引っ張っていければ茨城もすごいよくなるだろうし。
○G委員
ボランティアで思い出したんですけれども,震災の後に大洗水族館が1週間無料だったというのを聞いて,私行きたいなと思っていたんですけれども,そういう情報がなかなか伝わってこなかったので,過ぎてから聞いたんですよ。そういう情報をもっと発信してもらえたら,ワッと,すごく大洗水族館好きで何度も行ってるんですけれども。
何で発信すれば。
今は何でしょうね,ツイッターとかですかね。みんなママ友だちはやってますね。ツイッターとミクシーですかね,やってましたね。
結構みんないろいろなところに登録しているみたいで,ネット上の評判ってすごく早いんですよね,伝わるのが。どうなんでしょう,でも,広報紙とかも結構見ますね。
ツイッターで商品についてコメントをつぶやいてくれたら10%オフとやったんですね。
結構反響があって,1週間で結構30件近く声がかかったという話は聞きました。なので,結構ママたちがそういった情報ツールというのはずっと見てるみたいですね。
○A委員
基本的には茨城でずっといようと思えるんで,どうやって人と仲良くなっていこうかというところで,やはりツイッターとフェイスブックというものを利用して,例えば○○には雑貨屋さんがあるのでというのをつぶやかれていたら,そこに行ってみて店員さんと仲良くなったりとか。
この間も,茨城クロスメディア研究会というのが水戸のほうで,もともと知り合いだった人が開催しているんですけれども,それのオープン会みたいなのがあって,フェイスブックで募集をしたところ,50名ぐらい県内の本当に会社を経営しているような人だったり新聞社の人だったりそういう人が集まって,ただ話し合って交流会というような感じなんですけれども。そこに茨大生とかも参加したりして,自由に話をしたり交流をとったりという。
ただ,僕が思ったのは,そういうのをやってる人とやってない人の,もちろんやってない人でもすごくいろいろなところで頑張って活動している人というのはたくさんいると思うんですけれども,やってる人からすると,やってる人の世界になっちゃうんですよね。何かやってる人同士でコミュニケーションをとって……
○B委員
僕は商売やってて,お客さんとの対面販売というのに本当に重きを置いてるので。やはりお客さん目線で自分のお店見て今どうかなと思うと,ここはもっときれいにしたほうがいいな,ここもっと新しくしたほうがいいな,季節感出したほうがいいなということが一生懸命やるべき仕事ですから,ツイッターをやる時間がないんですよ。
○F委員
いや,販売ツールというか,スイート工房って何だみたいな,だれも知らないんですよ,店じゃないし。知ってもらうためにやってるんです。一回聞いたら忘れない変な名前だし,そのためにやってるんです。
○A委員
ちょっと話がずれちゃうんですけれども,皆さんご存じだと思うんですけれども,茨城県には,テレビ局がないんですよ,ローカルの。ほかの県には1個ずつは必ずあるんですけれども。ただあることで発信力というのは違う,そこにやはり人が集まってきていろいろなことを盛り上げようという力が生まれてくるので,やはりあるとないとではすごく違う。
|