テーマ「震災からの復興」について

テーマ「茨城のイメージアップ」について

テーマ「若者の活動支援」について

 

1.自己紹介

○事務局
 まず,委員になられた方々から自己紹介を兼ねて今,感じていることや想っていることなどをはじめ,茨城に対しての想いが様々な角度から意見が出されました。
また,茨城で生まれ育った方,一度県外に出られて戻ってきた方,県外から移り住んできた方などそれぞれの体験からの意見も出されました。
それぞれの委員さんからの意見を紹介させていただきます。

○A委員
 結婚しまして,その方が東海村の方で婿養子として茨城に参りました。
 茨城に関して,特に水戸に関してはまだ全然初心者といいますか,知らないことが多くて,最近はツイッターとかフェイスブックとかそういったものがありますので,そういったものも利用していろいろな人と交流をとったりしています。
これからいろいろ僕も茨城についてもっともっと勉強しなきゃいけないようなこともあるでしょうし,今日こういった機会を自分のためにも生かしていきたいと思っています。

○B委員
 今は笠間市で陶器の販売店を経営しております。東京で10年ぐらい生活していたんですが,茨城に戻ってくることになりまして今,僕はこちらの茨城県の笠間市で生活しております。
 茨城県で生まれ育って,また茨城で生活していると,茨城のいいところも悪いところもすごくよくわかりますし,茨城への愛着とか愛郷心というのは多分僕,人一倍強いと思いますので,茨城がよくなるためにという話で今回お話をいただきまして,ものすごい光栄なお話だなと思いますし,僕ができることなんて本当にないと思いますが,何か思いはありますので,何か形になることがあったらすごいいいなと思いますし,僕は自分で言うのも何ですけれども,商売には長けているというか商売人なので,どんどん商売を通して茨城に貢献できたらなというふうに思っています。

○C委員
 自分は保育園をやっております。
 学生時代にちょっと中国語の勉強をずっとしたいなと思いまして中国の大学のほうに進みました。中国になぜ魅力があったのかというと,そのときやっぱり市場という面でも勉強しておいたほうがいいかなというところと,あとは同じやっぱり中国から来た文化である漢字をぜひ勉強したいなというので行ったわけなんですが,今は全然使っておらず,でも,やっぱり何か事業とか,かかわれるものがあればどんどんかかわっていこうと思いまして,使っていければなと今は思っております。
 自分も1回中国に行きまして,日本のよさを外から見てわかりまして,また茨城に戻ってきたときに,Bさんが東京から戻ってきたのと同じように,やっぱり茨城の良さとかそういったものをすごい感じまして,何か自分でかかわっていけたらなという気持ちで,今いろんな団体に所属してそういった活動も頻繁に行っているところであります。またこういったお話もいただいておりますので,また積極的にこの機会を活用しまして,どんどんやっていけたらなと思っています。

○D委員
 私も茨城を離れて長かったものですから,茨城を外から見る機会というのが多かったと思っております。
 実際帰ってきてみると,先ほどBさん,Cさんがおっしゃったとおり茨城のよいところ,悪いところというのは思い当たるというか,強く悪いなと思うことはないんですけれども,1つだけイメージが余り明るくないというんですかね,何かの調査で住みたい県でいくと下位のワースト3に入るとか,住みやすい県でも下のほうに入ってくるとか,実際住んでみて住み心地が悪いとかということを感じたこともなくて,東京も近いし,かといって空気もきれいだしとかという生活するという意味ではすごく住みやすい環境にあるのかなと思っているんですけれども,我々がつくっている野菜なんかもそうなんですが,いまいちイメージとしてよくない,花もそうなんですけれども,ちょっとイメージとして何だかよくないというような漠然としたところなんですけれども,イメージがよくないなということを感じております。
 ここ二,三年はイメージアップを図るというような戦略を仲間たちと何とか地元土浦,茨城の花を盛り上げようかなというような活動を中心にやらせていただいていたことでお話をいただきまして,喜んで参加させていただいております。
 皆さんと忌憚のない意見を交換させてもらいながら,少しでもこの会を盛り上げていけたらいいなと思っております。

○E委員
 よろしくお願いします。
 私は大学のときからずっとボランティア活動をしていまして,学生のときは学生の団体をつくって,子供たちに自分たちで遊びを考えた企画,子供たち向けの企画をつくって子供たちと一緒にいろんな体験をしていくという活動をしていて,それがきっかけとなって今までずっといろんな市民活動にはかかわってきました。
 大学を卒業して,一時期東京のほうで学童のようなところで子供たちを相手にする仕事をしていたんですが,結婚をして水戸で出産して子供たちを育てていくという中で,子供たちには外遊びをさせてあげたいなという思いがあって,水遊びとか泥んこ遊びとかさせてあげたいなと思ったんですが,水戸市内でそういう遊び場を探したところ,今公園でもお砂場があるところとかが少なくて,したがって,泥んこ遊びというのを日常的にさせてあげるということができない現状があったので,ならばだれか土地を貸してくれる方がいたら,そこで自分たちで遊び場をつくって遊ばせてあげたらいいなと思っていたところ,土地を貸してくれる方があらわれまして,そこでチューリップのお庭という乳幼児対象の野外の遊び場を運営しています。全くのボランティアなんですが,そこはお砂場があって,あと井戸を引いたので,井戸から小川みたいに流れるようにして,子供たちが泥んこ遊びとか水遊びができるように,あとは焚き火をしておイモをつくったりとか野外炊飯をしたりとか,そういう活動をずっとしていました。
 今回の震災を受けて,やっぱり放射性物質の問題とかがあるので,今ちょっとその活動はお休みをしている段階で,震災後はNPOが水戸にあるんですけれども,そこは茨城県内のNPO団体を支援している中間組織で,そこで震災を受けて福島とか茨城の支援活動に活動の内容をシフトしていっているところで,ボランティアチームができたんですけれども,私はそこのボランティアチームの事務局のスタッフをさせていただいています。それで,今は主にやっていることは茨城県内の福島から茨城県に避難してきている方の支援とか,いわき市の撤去作業とか,主婦をしながらやらせていただいています。

○F委員
 水戸でスイーツの卸販売を主にやっているんですけれども,茨城県の農産物を使ってスイーツに変えているんですね。それを主に県外にPRしていって,茨城県ってこんなにすばらしい農産物がたくさんあるというのをぜひPRしたくて活動しています。
 今僕らの周り,同級生とかなんですけれども,もう茨城なんか「
何もねえ」とか「だせえ」とか「格好悪い」とか,「何も誇れるものがない」とかそんなのばかりで,スイーツの力とかを使って県外に茨城県のブランド力をアップするためにアピールして,茨城県が注目されれば県民一人一人も茨城ってすげえじゃん,おれらが住んでいるところって結構いいところなんだなと思えるように意識の改革というか,そういうふうに変わっていけるようになれたらいいなと思って,このスイーツの力を使って主に県外にPRしています。
Bさんとかと茨城の魅力を伝える会というのをやっていまして,これからどんどん県外に茨城県の魅力をPRしていって,注目されることによって県民一人一人の意識が変わればいいなと思っております。

○G委員 
 茨城県のつくば市に今は住んでいます。
 私は思い入れがあって茨城県に来たというよりも,嫁いでくる事情で来たというところもあるので,よく茨城県のことは知らなかったんですけれども,来てみて本当によかったなと,今産んでから改めて思います。本当に公園が多くて緑も多いのに,生活の必需品なども安いですし,車が運転できれば割とどこへでも自在に行けるという絶妙の立地だなと思っていて,都内よりも安いですし,こんなに魅力的な県なのになかなか余りこちらに来る機会がなかったというのがとても残念に思っていて,もっと茨城県のこの子育てしやすい環境というのをアピールできたらなと思ってこの会議に参加させていただくことにしました。
 震災を受けてということなんですけれども,震災のときにまだこの子が3カ月だったので,とても苦労して,1週間ぐらい本当に全く外に出ないで引きこもってしまったことがありまして,初めてそのときに密室育児というのが今叫ばれていると思うんですけれども,全く外に出ないで育児をしている母親というもののつらさをすごく実感しました。
 密室育児というのは,結婚してやはり私と同じように正社員で働いていたのにやめてしまって,それで嫁いできて,周りに知り合いもおらず,外に出られなくなってしまう人たちのことを密室育児をしている人というふうに言うんですけれども,そういった人たちというのは,本当に頼るところもなくて,なかなか外に出て知り合いをつくるような機会もなくて,本当に引きこもってしまうと,産後うつというような深刻なうつ症状に陥ってしまうぐらいに悩んでしまうそうなんですが,震災のときにそれを体験して本当につらかったので,今まで産後の母親を助けるイベントなどの事業を手伝ってはいたんですが,そこでかなり実感しまして,こういった母親たちを何か助けられる茨城県での事業などに参加できるような機会があればなと,ずっと思っていました。
お声をかけていただいたので私も何か,生の声を聞きたいというお話だったので,本当に生の声が今届けられる絶妙なタイミングなので,何かお話しできればなと思って来ました。一介の会社員で主婦なんですけれども,お役に立てればと思います。

○事務局
 本来であればあと2名ほどいたんですけれども,仕事の都合上でちょっと今日来られないということでありますので,きょうは7人のメンバーで行っていきたいと思いますので,どうぞよろしくお願いいたします。


 

2.震災からの復興について

○事務局
 今,皆さん,いろいろ出して自己紹介等あったんですが,その中で共通というか,他県からいらした方,もしくは一度茨城を離れて茨城のよさを知るというところを,今聞いている中で皆さんからいろいろあったんですけれども,皆さんからご自由に,意見があればどうでしょうね。
 今,Gさんのほうからも3月11日の震災のことがちょっと触れられたんですけれども,そういう部分で皆さんのほうで,茨城で住んでいて,Bさんからもちょっと話はあったんですけれども,震災があったときの茨城のよさも改めて知ったとか,いろいろあると思うんですけれども,そういうその当時のことなんかもありながら,そういうことが起きた,これから,じゃどうしていくんだとか,そんなことも話をしていただけるとどうかなと。もう自由にどうぞ,いいですよ。

○F委員
 地震があったときは,スイーツの卸もやって,レストランもやっていたんですけれども,卸もやっていて,そのとき,卸の,つくっていたわけですね。あしたまでにロールケーキ120ケースって,すごい量なんですけれども,それをやっている最中で,いきなり揺れまして,もう落ちそうなんですね。これ落としたらもう一回やり直しだよって,嫌だって思っていて必死で押さえていたんですけれども,押さえ切れなくて全部おっこちました。
 うち,鉄筋コンクリートの3階建てで,すごい頑丈な店で,頑丈過ぎたゆえに揺れがすご過ぎて全滅したんです。
 その後は,ああもうだめだと思って,だけど,商売人なので,食材がいっぱい余っているんですね,これ何とかしなきゃと。従業員もいっぱいいるし,とりあえずあるものだけ売らなきゃと思って,道路に立って,看板に「弁当あります」,道路に。
 全部食材売り切って,ああこれで終わったなと。 で,ああもうやめよう,商売やめようと思っていたんですけれども,そんなときに日本橋のデパートから,1年前に営業かけていたところなんですけれども,スイーツのロールケーキの販売やりませんかってあって。
 それを華々しくやって,もうやめようと思っていたんですよ。つくって日本橋まで届けて,帰ってつくって日本橋まで届けてというのを1週間やったんですね,寝ないで。
 で,終わりました。ああ終わった,もう終わった,今度こそ終わりだと思ったら,今度,水戸の店から店やってくださいという電話があって,これも運命かなと思ってやって。
 そしたら,やっぱりやめられないなと思って,それで全部今までの取引先回って,やっぱりやりますと言って頼んで,やり始めて。
 農家さんもいろいろ回って,やっぱり被害がすごくて,もうどうしようも,何の補償もしてくれないと言うんですよね,農家さん,国は。買ってくれないしで。で,何とかしなきゃなと思いまして,何もなくなっちゃったんですけれども,とりあえず農家さん助けたいなと思って,農家さんから買い取って,もう一回またジャムとかスイーツをつくり始まって,今に至りますね。
 農家さん回っているときに,後継ぎがいないとか,ひどい状況ですよね。だれもやりたがらない,もうからない。なので,農家さんは捨てちゃうんですね,ちょっとでも傷があると買い取ってもらえないということで。そういうのを,もったいないし,農家さんの価値を下げちゃうというか。もうからないから若者も息子もやらないと。そういう悪循環なので,少しでも,出会えた人だけでも,少しでも利益を出せるようにして,農家さんを。
 
やっぱり農家さんが盛り上がらないと食べるものなくなっちゃうぞと。本当に危機意識はあるんですよね。後継ぎがいないと,どこもいないですよね。

○D委員
 中学時代とか,親が農家というのは周りに結構いたんですね。田舎のほうなので,土浦市でも。
 職業調査というのが,僕らの世代のときやると,お父さんは何していますかというと,会社員ですとかって,農家ですというと結構手が挙がったんですけれども,高校ぐらいになってくるとだんだん減ってきまして,クラスで3,4人ぐらいでした。中学時代は,田舎の中学校だったので10人以上は1クラスにいたんですけどね。
 僕の世代で,同級生でやっているのは,はっきりとわかっているのは,200人中3人ぐらいですよね。もともと農家数多いところなので,そういうのが現状で。僕自身ももともと農家の長男という立場なので,仕事につこうと思えばつけるという環境はあったんですけれども,農家が嫌とかそういうことじゃなくて,ほかにちょっとやってみたいなと思うことがあったので,それにチャレンジしていたという感じなんですけれども。
 本当に,何でやらないのと,今,もうからないとおっしゃった。確かに何か,余り昔からもうかっているイメージはなかったんです。
 私,子どものころはバブル期って時代があったので,実は農家もかなりお金に当時はなっていましたね。今,物の販売価格が当時の半額ぐらいのベースになっているので,経費は余り変わっていないから,むしろ経費だけ上がっている状態というのが,一般的に言えばそういう状態なので,当然,利益は減っているというような感じはしている。
 今お話を伺っていると,その時の農家さんを助けたいなと,本当に農家を代表してお礼をいいます。

 あの当時は本当,地震というよりも恐らく―地震で直接被害を受けたという地域は当然沿岸部中心にあったんですけれども―原発の影響ですね。
 本当に売れない。もう2,500円ぐらいするミズナが1円とかというのをテレビで見たし,実際,我々の近くでホウレンソウは出荷できないし,行ってもちょっと売れないよというような惨憺たる状況はありましたね,本当に。うちは農家,私は野菜はやっていないんですけれども,本当にそれまでのつくる過程も見ていますし。
 当時は風評と,放射能の影響はどれだけあるかって結構大きな問題,国民的な問題だったので,こちらの都合だけで売るということも正直やってはいけないというのもみんな思っていたのもあったし,直接被害受けた地域の現状を見ていると,我々もそれ,今は我慢しようかという話は仲間内でもしていたところなんですけれども,今,3カ月,4カ月たってきて,牛に出たとか,きょうも栃木県のほうで出て,出荷停止だとかということがこの先もますますいろんなもので出てくるのかなというようなことを本当に危惧し始めています,改めて。農産物に関してはですね。

○F委員
 猿島茶の,県内で初めて抹茶をつくった会社があるんですけれども,猿島に。
 その方の抹茶を使ってロールケーキもつくっているんですけれども,去年収穫したやつ,お茶とかも全部返品と。去年なので関係ないんですよ。でも,猿島というだけで,もうイメージが悪いから全部返品といって,これはひどいなと。僕は全然,今でも猿島の抹茶を使っていますと言って売っているんですけれども,お客さんって,気にしないで買ってくれるんですよね。

○D委員
 当時は中間業者とかがまず,風評被害が出るからという形で市場のほうでも取引ができないようになっているので。
 末端の消費者を見ますと,買ってあげたいんだけれども物がない。物流も滞っていたというのがあるんですけれども,そういう状態で,買いたくても東京のほうでは買えない。支援したいんだけどできないよというのは,話を東京の知り合いから直接聞かされたことがあって,どこで買えるのと,茨城のもの全然ないよと言われて。だんだん地元のスーパーあたりがやっぱり,そういうわけにもいかないので,茨城のものを入れたりとかという形に進んできたんですけれども,本当に当初はひどかったです。
 本当,風評ですね。
 実際によくわかっていなかったという怖さが一番大きいんだと思うんですけれども,怖がる気持ちは正直,自分もわかったんですね。自分も,ここに住んでいて大丈夫なのかなという,2週間ぐらい思っていたことはあったので。ただ,それがある程度はっきりしてきた段階で,やっぱりそれなりに消費者のほうも落ちついた部分はあったとは思いますけれども,今でもさっきおっしゃったような被害というのは根強く残っているものも,品物によって大分違うんですけれども,ありますね。

○D委員
 僕ら生産者の立場で,安全だよということをちょっと簡単に言っちゃったんですけれども,小さいお子さんをお持ちの場合,G委員さん,いらっしゃいますので,割といわゆる放射能とかというもの,食材のことって,かなり気を使われているんじゃないかと思うんですけれども。

○G委員
 みんなでお金を出し合ってガイガーカウンターを買いました,私の周りでは。大丈夫か,測ってみようって,みんなで。10万ぐらいしたので,ちょっとずつお金を出し合って買って,いろいろ測って,結果,周りはこんなぐらいの数値なんだ,大丈夫だというのも,やっぱり安心してからは買い始めました。
 これ大丈夫だと言われても,その同時期にニュースで,母乳から放射能が出たというニュースが流れていたので,それでみんなパニックになってしまって,もう何も信じられなくなってしまって。結局,10万もする計器を,何を買ったらいいのと相談されて,みんなで買って,職場に備えました。
 やっぱり農家さんもうちの職場もいるので,農家さんがホウレンソウを持ち寄って,出荷できないホウレンソウ,茨城県全域で規制されてしまったので,出荷できなかったホウレンソウというのを職場で配ろうと思うんだけれども,みんなに自信を持って配れないというふうに言われて,買ったガイガーカウンターをもって測ったところ,本当に数値が出なくて,えっ,壊れているのかなって,みんな言ったんですけれども,ほかの水たまりとか測ってみても数値はやっぱり出なかったので,ここは大丈夫なんだって安心できたんですけれども。
 ニュースでは,茨城県の県南,県北,県西とかそういったことは言わないで,茨城県で出ましたというような言い方をされてしまうので,やっぱりうちの近くなんじゃないかという心配で,みんなパニックにちょっとなってしまった時期があったんですよね。
 もう0.000幾つみたいな感じで出るので,そんなに心配するようなこともなく,ただ,集まってくるスポットというのがあるらしくて,雨水がたまってしまうような。そういうところで出たと言って騒ぎ立てるんですけれども,日常生活で,そんな出るような数値というのはなかったです。
 本当にいろいろ測ったんですけれども,屋根の上とかも。

○E委員
 何かいろいろ測ってはみたんですけれども,やっぱり水戸市内で,土のところとかだと0.1から0.3とか。あとは,草とか集めちゃうと,そこが高くなって0.4とか出て,だから,もう本当,いろんなところを測ってみないと,場所によって数値が全然違うので。

○D委員
 そうですね。野菜で当初出て,ホウレンソウからなぜ出たかというのは,あれは要は表面的の問題だったんですよ。
 茨城で典型的だったのはパセリですね。パセリが出たって出荷停止になったんですけれども,あれはたしかキロ当たり,何の食材でも1キロに対してどれだけという数値だったので,当然パセリ,軽くて表面積広いので,ちょっと,同じにかかるんだけれども,かかり具合が違っちゃって。大体,パセリを1キロ食べる人間はいないんだけれども,それで出たんですよ。下から吸ったんじゃなくて上からかかった分が,要は表面積が広いと,それだけ乗っかりますからね。だから葉物で出たんですよ。根菜とかでは,その当時はまだ出ないというわけで,そういったからくりがあったので,パセリ危険というのも,パセリが乗っかっているのを食べても全く問題ないレベルだと思った。
 ただ,そういった情報すら皆さんわからないじゃないですか。私らはそういうことに携わっていたので,何でこれパセリ出たのと言ったら,聞いた人に聞くと,いや,こういうはかり方しているから出るんだよと。だから,大根とかなんか出ていないんだ,今のところという話をしていましたね。この先,土に残ったものを吸ってとかという問題が,もしかしたら起こってくる可能性はあるかと思いますけれども,今のところはそういう問題です。

○G委員
 私,最近離乳食が始まって,もうどうしていいか,ちょっと正直わからなくて。ベビーフードが売っているんですけれども,そんなに細かく産地までは書いていないので,結局,自分で買ってきてつくるんですが,正直,結構大変で,どのようにされているのか。

○C委員
 3月16日から保育園を再開をして,子どもの受け入れをし始めて,皆さんが仕事に行けるようにやっていったわけなんですけれども,子どもを預かるということはトイレから食事から何から全部やらなくちゃならなくて,やはり直接一番に食材の買い付けに行くんですけれども。やはり意外と行くとそんなときは入ってきてた,お話聞くと,やはりその原発の問題で買えるものと買えないものがあって,そういうのも選びながらちょっとやっていましたね。今も根菜であったりとかそういったのを意識して,でも実際測ったらさっき,あるかないかわからないというものありますので意識しながらやってはいますね。

○G委員
 こういった状況がずっと続くと,精神的にもよくないですよね。
 泥んこ保育というのが震災の前は結構はやっていたと思うんですけれども,室内ばっかりだとやはりストレスもたまるでしょうし,何かお砂場の開放のような何かできればなと私は思っていたんですけれども。
 何か私もちょっと手伝いたいなと思ってしまって,ボランティア。そういった何か子どもたちに安全な遊びとか食を提供できるような何かアイデアがあればどんどんボランティアで実行していきたいなと思うので,皆さん何かお知恵があればと思ったんですけれども。

○B委員
 実際被災してみると,今,Gさんおっしゃったみたいに,自分で何が能動的にできるかと考えながら進んでいかないと,何も変わらないし,先に切り開けないなと思いました。
 結局,国が何してくれる,県が何してくれるか,市が何してくれるかといったところで,やるのは自分で,Aさんがまたやるしかないなと気持ち決めてまたやり始められたみたいに,どういう状況でもやはり結局は自分がどうやってやっていくかということしかないし,ほかの人に頼れるところは頼りますけれども,基本的には自分の力で決めて,考えて,実行していくという繰り返ししかないなと思いました。
 だから,今私が何かしていけることという話を今おっしゃっていたから,お子さんまだ小さくていらっしゃってすばらしいなと思いました。

○G委員
 本当に赤ちゃんが生まれて家にこもってはいるんですけれども,それまではバリバリ働いていたので,正直元気だけはあってというお母さんが結構いっぱいいるんですよ。なので,私は大したことはできないんですけれども,やはり声をかけていただけるような能動的な方がいれば,みんなザッとついてくると思うんですよ。なので,母親の労働力というか,何か生かせればなとちょっと思っております。

○B委員
 そうですね,基本的に茨城の方って働き者が多いですよね。すごいパワーを持って働いてるから,それをそれぞれみんな誇りに思っていいですよね。

○F委員
 何か明確なビジョンというか,自分はこうなりたいみたいな強い意識があれば,どんな状況になっても頑張れるんですよね。だから,それを,小さいお子様とかいらっしゃるから,子どもにどうやって教えていくのかなみたいな。幼稚園のころからそういうのはあるんですか。この,何と言えばいいですか,目標設定というか。

○C委員
 まず基本的な生活とかそういったのをやっていく。あとは基本的な読み書きとか,そういうのをしっかりした上で次のをやっていくとか。でも,先生がその役目だと思うんですよ。生き生きと引っ張っていってる,ああ先生格好いいなとか思うようなところを先生がいかに見せられるかで,大人ってやはり格好いいなというのであこがれて保育士になる人って結構多いんですけれども。多分そういったところで大人の人たちが背中を見せるという点は多分それにつながってくるのかなというふうに思います。教えるというのは特にはないんですけれども。
 元気に遊んでるとか,そういったのが気持ち的に,健康な心には健康な体がついてくるとか,あと反対に健康な体があれば健康な心が育つというのが多分あると思うので,そっちのどっちかがいってれば何かいい方向にはいくのかなというふうには思います。

 ちょっと話はあれなんですけれども,結構日本ってボランティアというのは当たり前のように皆さんやられているんですけれども,中国とか行くと,やはり驚かれるんですね。ボランティアで中国とかに行ったりするんですけれども,ボランティアできてるのか。年に何回も行くんですけれども。だから,こういったボランティアの皆さんのお力があればいい方向に引っ張っていければ茨城もすごいよくなるだろうし。

○G委員 
 ボランティアで思い出したんですけれども,震災の後に大洗水族館が1週間無料だったというのを聞いて,私行きたいなと思っていたんですけれども,そういう情報がなかなか伝わってこなかったので,過ぎてから聞いたんですよ。そういう情報をもっと発信してもらえたら,ワッと,すごく大洗水族館好きで何度も行ってるんですけれども。
 何で発信すれば。
 今は何でしょうね,ツイッターとかですかね。みんなママ友だちはやってますね。ツイッターとミクシーですかね,やってましたね。
 結構みんないろいろなところに登録しているみたいで,ネット上の評判ってすごく早いんですよね,伝わるのが。どうなんでしょう,でも,広報紙とかも結構見ますね。
 ツイッターで商品についてコメントをつぶやいてくれたら10%オフとやったんですね。
 結構反響があって,1週間で結構30件近く声がかかったという話は聞きました。なので,結構ママたちがそういった情報ツールというのはずっと見てるみたいですね。

○A委員
 基本的には茨城でずっといようと思えるんで,どうやって人と仲良くなっていこうかというところで,やはりツイッターとフェイスブックというものを利用して,例えば○○には雑貨屋さんがあるのでというのをつぶやかれていたら,そこに行ってみて店員さんと仲良くなったりとか。
 この間も,茨城クロスメディア研究会というのが水戸のほうで,もともと知り合いだった人が開催しているんですけれども,それのオープン会みたいなのがあって,フェイスブックで募集をしたところ,50名ぐらい県内の本当に会社を経営しているような人だったり新聞社の人だったりそういう人が集まって,ただ話し合って交流会というような感じなんですけれども。そこに茨大生とかも参加したりして,自由に話をしたり交流をとったりという。
 ただ,僕が思ったのは,そういうのをやってる人とやってない人の,もちろんやってない人でもすごくいろいろなところで頑張って活動している人というのはたくさんいると思うんですけれども,やってる人からすると,やってる人の世界になっちゃうんですよね。何かやってる人同士でコミュニケーションをとって……

○B委員
 僕は商売やってて,お客さんとの対面販売というのに本当に重きを置いてるので。やはりお客さん目線で自分のお店見て今どうかなと思うと,ここはもっときれいにしたほうがいいな,ここもっと新しくしたほうがいいな,季節感出したほうがいいなということが一生懸命やるべき仕事ですから,ツイッターをやる時間がないんですよ。

○F委員
 いや,販売ツールというか,スイート工房って何だみたいな,だれも知らないんですよ,店じゃないし。知ってもらうためにやってるんです。一回聞いたら忘れない変な名前だし,そのためにやってるんです。

○A委員
 ちょっと話がずれちゃうんですけれども,皆さんご存じだと思うんですけれども,茨城県には,テレビ局がないんですよ,ローカルの。ほかの県には1個ずつは必ずあるんですけれども。ただあることで発信力というのは違う,そこにやはり人が集まってきていろいろなことを盛り上げようという力が生まれてくるので,やはりあるとないとではすごく違う。

 

3.茨城のイメージアップについて

○事務局
 皆さんから今いろいろ出てて,最初この大切なところで,震災に遭われて今農家を何とかしなきゃ,その中から食に関する話題とかいろいろ今出てきましたようね。
 あとその情報発信のそこまで今話がいったんですけれども。
 あとは先ほどDさんからもイメージが暗い,そういう意見もあったので,そういう今皆さんから出たいろいろな意見とかを総合して,茨城のイメージアップについてちょっと,どんなことをしたらいけるのかなという。さっき食のことも出たし,どういうことでもっていったら。
 要するに震災復興にも若い人の力が必要だとかいろいろ言われている中で,皆さんが活動している,いろいろな思いが今あるわけなんですけれども,じゃあ今我が茨城はどういくんでしょう,

○B委員
 これ僕は,よく振ってくださいました。残念なんですけれども,茨城の人気度ランキングって何位かご存じですか。
 全国ででも47位って,悲しいですよ
 自分の県がどれぐらい好きかというランキングというのがあって,茨城県何位かわかりますか。茨城県の人から見た茨城県。
 46位か47位なんですよ。

○D委員
 自分たちの茨城はいいんだよというふうに言う人は多いですけれども。マイナスなイメージで言うのは,若いときはもちろんありましたけれども,よくわかってないし。今はそんなことないかなというふうには感じますけれども。
 茨城といってもわからないかなというのが1つ。確かにさすがに東京から来たとは言わないんだけれども,茨城から来たとも言わないで,関東のほうからと言うでしょう。

○B委員
 そうなんですよ。だから,そういうところなんですよ。自分で気づけば自分のいいところが好きになるから自分もレベルアップするし。ほかから見ても,例えば指がきれいだね,あの子はとかでもいいし,足が速いよねでもいいし,何でもいいけれども,そうやってほかから評価されることでちょっとずつポイントが上がっていくと思うんですよ。
 ポイントが上がることが目的ではないですけれども,実際上がることでいろいろプラスになることって多いと思っていて。プラスになっていくとまた自分たちのことが好きになるし,自分たちがまたより多く発信していきたくもなるし。
 だから,ちょっと我々はやはり茨城県を,47番目の自分自身を好きになって,その47番目の自分自身を外にPRしていく必要が今こそあると思います。

○D委員
 すみにくい県といったら,茨城って意外と多分下に来ない,逆に目立たないんじゃないかなとちょっと思うんですよ。
 僕ら商売してて,プラスポイントが少ないんですよね,茨城,さっき言った農業県で,耕作面積は北海道に次いで2位とか3位とかというレベルで,農産物の売上も3位ぐらいのレベルでかなり高いんですけれども,どういったイメージかというと,たくさん野菜できるんだけれども,平均して平均点だよ,とりとめてすごくよくも悪くもないんだけれども,平均点。だから,すごいのがちょっとずついろいろなところから出てくると,上位はそっちに持っていかれて,ベースを支えるようなところなんですよね。
 例えば果物で言ったら,有名なデパートに高く並ばないで,大衆向けスーパーマーケットのお客さんを支えるような位置づけに,量があるのでなるんですよ。気候も温暖で穏やか,耕作期間が長いので量も取れるという側面はありまして。たしかリンゴとミカンの南限と北限が茨城というのが一番の特徴で,何でもできちゃうんですけれども,そのかわり品質,クオリティが高くない。自然条件があるので。そういう農産物でいうとそういうところでプラスのイメージが持たれにくいんですよね。
 ただ,量があるというのはお客さん,大手のスーパーであったりとかそういう大きなお客さんにはすごく大きなメリットになるんですけれども,一般の消費者からすると,逆に安易にありふれて売られちゃってるからそんなに気にしないで,ちょっと安く買えるとか高くはないというような下支えをしてるような農産物というと,そういった現状があると思います。
 だから,どちらかというと大きくポイントを上げるような特徴がないのかなと。これだというものが。例えば温泉地ってぱっと茨城で僕は余り思いつかないんですよね。ないですよね。そういうところがない。突出したものがないという感覚。決して嫌いとかではなくて,プラスの何かが少ないんじゃないかとちょっと僕,考えるようになっています。

○B委員
 住みやすいし,安く買えるとおっしゃってたじゃないですか,すぐ移動できるしって,確かにそうだなと思いますし。そうだなと思います。

○D委員
 個人的に,嫁が新潟出身なんですよ。茨城の大学に入って,何で来たのかって,何か縁があって来たらしいんですけれども,住んでどうだったと聞いたら,すごくいいと言ったんですよ。だから,ずっと今でもいるんで。冬は雪はないし,夏は暑いけれども,そんなに住めないほどじゃないから,本当に住んでて住みやすいよと言いますね。

○F委員
 僕も新潟に住んでたし,山梨も大阪もいっぱい住んでたんですけれども,湘南とかいろいろなところ。みんな地元愛があるんですよね。でも,よく考えると,テレビ局が全部あるところなんです。

○C委員
 外への発信と内への発信が多分なかなか,よく発信力が弱いとか言われますけれども,茨城県って,それができてないから地元の愛とかそういったのも育っていってないのかなというふうには思いますけれども。

○B委員
 それ一番ですよね。僕も思いますけれども,やはり新聞読んで歴史勉強するとか本読んで歴史勉強するとかなかなかしないけれども,テレビで何となく流れてたれば,水戸はなんてすごいし,歴史的に評価されるべき人たちがたくさんいらっしゃいますもんね。
 そういうのがたくさんあるんですよ。僕は水戸出身で今笠間に住んでいるんですが,商売やってて。笠間焼というのはめちゃすごいんですよ。全国的に見てもものすごく評価が高くて,焼き物の産地って今軒並みどこの県もものすごく下がってるんですね。例えば瀬戸とか唐津とか有田とか伊万里とかいろいろな名だたる産地がたくさんいる中で,笠間はいいんですよ。そういうのってご存じないじゃないですか。
 それで笠間焼って何と言われても地元の人もわからない。笠間焼はわからないけれども,益子焼なら知ってるんだけどね,それは栃木県だろうみたいな。そういう自分たちの県のいいところはわかるべきだし。
 あと,そのいいのをつくっている人の背景とかもこういう思いでつくってるというのがわかればなおさらプラスだし,応援したいなと思うし。笠間で人間国宝になってる人とか茨城で人間国宝になってる人の名前じゃあ挙げましょうといったって,余り多分ほとんどの方は言えないと思います。でも,そういう方たちっていらっしゃるんですよ。
 僕笠間に住んでいて思うのは,例えば観光のお客様が多いので,僕も笠間の勉強をすると,すごいいいところがたくさん出てきてて。水戸から笠間って二,三十分で行ける距離なんですけれども,その僕が水戸に住んでたときに笠間って興味なかったし,笠間って何ってわかんなかったし。でも,知れば知るだけすごい,すばらしいなって思うんですね。こんなに東京から近く,水戸から近く,今の季節とかホタルがすごいんです。それで川もきれいだし,野菜もフルーツもおいしいし。
 A委員さんもおっしゃっていたテレビがないというのは結構痛いですよね。子ども見ますもん,テレビだったら。

○B委員
 まずどうしたいかということが先にあって,できるためにどうするかという努力をして,それが実現できるようにするために何をやるかといって,それでもしかして実現できない場合ももちろんありますし,もちろんできる場合もありますし,でも,できるようにそうやって精いっぱいやっていくことがものすごい大事だと思うんですよ。茨城の悪いところの一つで,結構やらなくても,そこそこ生きていけるんですよ。
 茨城に住んでいると,結構安心で安全なんです。
 震災があっても食べるものあるし水もあるし,自分の近くをたどれば農家の方がいらっしゃったり,米をつくっている方とか,何かしらちょっと手助けしてくれる方が近くにいるので,そこそこ生活困らないですから,それで,それをよかれと思って,今のままでいいなと思っているんだったらば,この会はある必要はないと思うんですけれども,このままじゃよくないよな,これから何とかしていこうよという気持ちがあるので,そういう志とか,これからやっていくこととか,茨城県がみんなに何をしていけるのかとか,そういう気持ちと,あと茨城県のイメージアップというところの目的でこれが始まるということをお伺いしたので,それこそが,このままぬるま湯じゃなくて,ここから一歩抜き出していきましょうよという,そういう気持ちで今いるんですね。
 それをどういうふうにしたらばいいかというその可能性とか未来を見たい会ですね。

○B委員
 実際テレビで,目的としてはテレビ局をつくりたいわけじゃなくて,テレビを使ってお子さんたちに,きょうの昼寝の時間はテレビをみんなで見ましょうと言って自分たちの住んでいる茨城県ってすばらしいなって。これが茨城県なんだよっていう。

○D委員
 土浦なので,水戸とか県北の方よりも大都市に出やすい,すぐに行けちゃうんですね。つくばもそうじゃないですか。なので,田舎に住んでいる感覚って,余りつくばなんてさらさらないですよね。
 ちょっと行けば緑があって,でも住んでいる場所が都会だし,東京にすぐ出られる,つくばってそういう環境なんですけれども,もともとのつくばが,緑が多いところなので,すごく環境は恵まれた場所で,土浦も割とそれに近い地理条件があるわけで,生活もすごくしやすいですね。今回こういうイメージを上げるのにどうしたらいいと,きのう,ちょっと機嫌をとって聞いていたら,自分たちやらなくてもいけるから,だから人に教えたくないんじゃないのと言われて,そんな意識もないんだけれども,積極的に確かに動くということをやってこなかったよね,僕ら自身。僕ら,外にいたので,実際東京で住まわれていて若いときにいたわけじゃないですか。
 正確に言うと10代後半とか20代前半って,遊ぶあれがたくさんあったりとか,まだ景気がちょっとよかった時代に僕はいたので,それこそ青山とかああいうところに通ってはいたんですけれども,「だから何」という状態で,こっちに戻ってきても何不自由ないんです。生活しやすいというのがあるから。

○D委員
 そこそこ所得あって,私は農業なので,言ったように結構土地をぜいたくに使いたい放題で,やろうと思えばつくれる,ただ,参入する人が少ない。参入する方の多くはリタイヤされて,60から65ぐらいになられた方,正直,業界でいうと参入されてもメリットはほとんどないですね。若い方が参入してきて盛り上げていただければ,それなりに力になるんですけれども,否定はしませんけれども,余生をちょっと農業,土いじりしたい方という方が来られても,業界としてのパワーに残念ながらならない。業界としてパワーアップするって,そこの中のレベル,底上げになるので,すごく刺激的にもなるし,どんどんいろいろな方が入ってくれば自分も刺激受けられるから切磋琢磨でき,それで伸びるという補助効果も,伸びる方は勝手に伸びるんですけれども,そうでない方のいい刺激になる。いい刺激になるという傾向があると思うんですよね。
 突出したものがない,大きなポイントを上げるような特徴がない,それは皆さんとしてのイメージというのは,平均点レベルにしちゃうとか,もっと低くしちゃう。
 茨城のイメージアップって漠然とし過ぎているんですけれども,とにかく絞り込んで一つのことに焦点を当てていくというやり方,大きく広げ過ぎちゃうと,盛り込みすぎちゃうと難しい。とにかく絞って,ターゲットも絞るということもあるんですけれども,自分たちの売りたいものを絞るという,ただ,商売されるとき,そういうことを当然やられると思うんですけれども,絞り込んでいくという作業ってすごく重要です。
 農産物マップなんか見ると。どこを見ていいんだかわからないんですよね。こっちにも豚があって,こっちに豚があって,ここで米があって,米があって,どこなのという,山梨だったらモモとブドウとか,そういうところから一つずつつながっていくというやり方って,何か重要なのかな,茨城のイメージを上げるのに何かこう,茨城空港って一ついいツールになりそうな可能性もあると思うんですよね。空港を持っているところ,そんなにたくさんあるわけじゃないので,何かそういったことで,茨城のイメージを上げるためには,何かクローズアップしていく,絞り込んじゃうということが大事なのかなと思うんです。

○B委員
 それ,あれですよ,わかりやすいですよ。
 例えば,笠間で商売やっていますけれども,笠間で売り出したいのってたくさんあるんですよ。例えば石だったり,あと愛宕山だったり,日動美術館だったり陶芸美術館だったり,北山公園だったり,何とか池だったり,何とか森だったりとかたくさんあるんですけれども,結局は「笠間って何」って全国的に発信できるといったら笠間焼なんですよ。評価されて,全国からそれを見に行くとしたらば。
 それと,同じように,「茨城県って何」と言ったときに,客観的に何となく思うのは,水戸黄門だったり納豆だったりというところが,何となく知れているイメージじゃないですか。それにばしばし力を入れていくと,例えば高知県だったらカツオと坂本竜馬だなみたいな,あと栃木だったらばギョウザうまいよねとか,そういう何か一つ,ぽーんと突出させちゃうというのは僕も賛成です。僕は水戸黄門と納豆かなと。

○D委員
 そのものずばりがいいと思いますよ。
 それが,ずばりでいくと,それが好きな人が集まってきますから,例えばおじいちゃん,おばあちゃんが集まってくる県だって魅力の一つじゃないですか。「あそこに行くと,控えおろう聞こえるみたいよ」みたいな,「あそこで,おれ,老後暮らしたいな」とか,そういう特徴づけって大事だと思いますよ。

 

※震災の時のことから今後のことまた,茨城のイメージアップについていろいろな意見が出されました。
時間の経つのも忘れるくらい活発な意見交換が行われました。

 


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